1)近年の内外の環境変化がもたらすインパクト
本邦の企業・組織を取り巻く内外の変化はさらに加速しつつあります。例えば、少子高齢化に伴う生産年齢人口の低下については、経済規模の縮小、社会保障や財政の持続可能性の危機等を生み、さらなる少子化を招く負のスパイラルにつながり、国家としての成長力に重大な悪影響を与えることが危惧されています。そのような問題意識に基づき、近年、働き方改革や地方創生、伸び悩む生産性の向上を目指した各種支援等、多様なアプローチによる新たな成長戦略が政府から提示されています[1]。その中でも特に、2017年に閣議決定された未来投資戦略では、IoT、ビッグデータ、人工知能等を産業や生活に取り入れ、さまざまな社会問題を解決するソサエティ(Society)5.0の社会(以下Society 5.0)の実現を目指すとされました[2]。
Society 5.0とは、狩猟社会(Society 1.0)、農耕社会(Society 2.0)、工業社会(Society 3.0)、情報社会(Society 4.0)といった、人類がこれまで歩んできた社会に次ぐ第5の新たな社会とされ、サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する、新たな未来社会として定義されます[3]。
図表5:Society 5.0への道筋
出典・経済団体連合会「Society 5.0-ともに創造する未来」より
産業界において、Society 5.0が大きなインパクトを持ったきっかけは、経済団体連合会(経団連)による「Society 5.0 -ともに創造する未来」が2018年に出されたことがあります。この中では、Society 5.0は「創造社会」と位置付けられ、「利便性や効率性の実現を主目的とするのではなく、デジタル技術・データを使いながら、人間が人ならではの多様な想像力や創造力を発揮して、社会を共に創造していくことが重要で、デジタル革新と多様な人々の想像・創造力の融合によって、社会の課題を解決し、価値を創造する社会[4]」とされ、それに向けての企業、人、行政・国土、データ・技術の変革が提案されました。
この経団連による提言の前提となるのが、デジタル革新(DX)を中心とする第4次産業革命による社会の変革です。DXとは、デジタル技術とデータの活用が進むことで、個人の生活や行政、産業構造、雇用等を含めて社会のあり方が大きく変わることとされ、そのための手段として、IoTやAI、ロボット、ブロックチェーン等の技術の活用がなされます。これらの技術は、産業界においては、既存の国境、産業、文化的障壁、商慣行等を超えてビジネスプロセスを変革することにつながり、変動性や複雑性の増した、いわゆる「VUCA」[5]の時代を迎えることにつながります。
図表6:Society 5.0がもたらす働き方の変化
出典・経済団体連合会「Society 5.0-ともに創造する未来」より
必然的に、それに適応し、社会から選ばれる企業であり続けるために、各企業は変化スピードを加速させます。その結果として、職場で必要とされるスキルの変容を招き、働き方にも雇用の流動化をもたらします。具体的には、これまでは終身雇用に代表される、定型業務も含めた内部人材中心の流動性の低いメンバーシップ型雇用に基づく働き方であったのに対し、今後はデジタル技術の活用による定型業務からの人の開放、外部との連携も含め、自律的にキャリアをマネジメントする多様な人材の活躍が期待されます。その結果として、ジョブ型雇用に代表される、これまでとは異なる働き方が要請されることにつながります。
従って、DXを背景としたSociety 5.0時代は、働く従業員にとっては、成長し続けるための努力がこれまで以上に求められるようになるという意味で、不確実性が増大した時代と位置付けられます。その一方で、企業側は、従業員のパフォーマンスの発揮、また生産性向上に寄与する人材の確保のために、従業員の健康の保持・増進やモチベーション向上等の、より前向きな働き方の促進に関心を持つようになりました。
図表7:近年の社会変動がもたらす企業と従業員へのインパクト例
Society 5.0時代においては、もう一つ見逃せぬ動きが出てきました。それは、SDGs(持続可能な開発目標)[6]を筆頭とする、社会の持続可能性への貢献という視点の強化です。先述の経団連の報告書においても「Society 5.0 for SDGs」として、DXを起点とした変革が企業の社会的価値を増大させ、社会課題解決や自然との共生にもつながる旨が謳われました[7]。SDGsは、2015年に国連総会において採択された「世界を変える17の目標」として、さまざまな項目が盛り込まれていますが、その中でも特に「3.すべての人に健康と福祉を」「8.働きがいも経済成長も」といった目標は、健康や職場、働き方に大いに関連するものとして位置付けられます。
このような動きは、国連や政府レベルにとどまらず、経済界にも共有されつつあります。それを後押しするのがESG投資の流れです。ESG投資は、財務指標にとどまらず、環境(Environment)・社会(Social)・ガバナンス(Governance)要素も考慮した投資のことを指し、特に長期運用~従って企業経営やそれを支える各種資源の持続可能性を重視する~を行う機関投資家を中心に拡大し続けています[8]。「健康いきいき職場づくり」との関連では、例えば機関投資家においては、健康経営優良法人の認定の有無をESGの評価基準に組み入れる動きが近年見られます。また、コーポレートガバナンス・コード改訂案においては、「従業員の健康・労働環境への配慮」に関する記載が追加され[9]、2020年には米国証券取引委員会(SEC)が人的資本に関する情報開示を義務化[10]する等、投資の上での「人」に関する関心が向上しており、企業側にとってもこれを重視する必然性が以前にも増して高まりつつあります。
これらの動きに共通することは、自社や株主の利益のみを重視した企業経営から、取引先、顧客、地域社会、そして従業員といったあらゆるステークホルダーの利益に配慮すべきという「ステークホルダー資本主義」[11]へのシフトチェンジとしても理解できます。これらの動きの中で、人材をコストではなく重要な資本とみなす「人的資本経営」[12]も提唱されるようになりました。
このように、企業やそこで働く人を取り巻く環境に変化が訪れつつあります。それに対応する形で、働く側の意識にも価値観の多様化という形での変容がもたらされます。例えば、かつての終身雇用志向からの脱却はもとより、自分自身のキャリア自律への意識の高まり、兼業・副業への関心の向上、「働きたいときに働く」ギグワーカーの登場、「FIRE」[13]ともいわれる早期リタイヤ志向等、枚挙にいとまがありません。また、特に若い世代においては、上述したような企業側のマインドの変化の裏表として、健康面や成長機会等も含め、「働きやすさ」「働きがい」が担保された職場が提供されるかどうかが、企業を選び、働く上での重要な判断基準になってきています。こういった状況下においては、必然的に、企業と従業員の関係性も変わっていき、企業側としては、従業員の成長支援や健康への配慮等を行うことで、優秀な従業員をつなぎとめることへの関心が高まることにつながります。
これまで見たように、Society 5.0時代を迎えるにあたり、さまざまな変化が表出することになりました。そしてその動きをさらに加速させることになったのが、2020年以降続いている新型コロナウイルス感染症の世界的流行(以下「コロナ禍」)と、コロナ後(ポストコロナ)を見据えて生じているさらなる社会の変化です。
[1] これまでの成長戦略の沿革については内閣官房の以下サイトを参照。
https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/seicho/kettei.html
[2] 「未来投資戦略2017―Society 5.0 の実現に向けた改革―」
https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/seicho/pdf/miraitousi2017.pdf
[3] 脚注22の前掲報告書より。
[4] 経団連「Society 5.0 ともに創造する未来」より。以下サイト参照。
https://www.keidanren.or.jp/policy/Society 5.0.html
[5] VUCAの定義については以下サイトを参照した。https://ja.wikipedia.org/wiki/VUCA
[6] SDGsについては国際連合広報センターサイト参照。https://www.unic.or.jp/activities/economic_social_development/sustainable_development/2030agenda/
[7] 経団連「Society 5.0 for SDGs」サイト参照。https://www.keidanrensdgs.com/Society 5.0forsdgs-jp
[8] ESG投資については経済産業省サイトを参照した。https://www.meti.go.jp/policy/energy_environment/global_warming/esg_investment.html
[9] コーポレートガバナンス・コードの2021年6月11日付の変更点については以下参照。
https://www.jpx.co.jp/news/1020/nlsgeu000005ln9r-att/nlsgeu000005lnee.pdf
[10] プレスリリースは以下参照。https://www.sec.gov/news/press-release/2020-192
[11] ステークホルダー資本主義については世界経済フォーラムサイトを参照
https://www.weforum.org/agenda/2020/01/stakeholder-capitalism-principle-practice-better-business/
[12] 人的資本経営については経済産業省サイト参照。
https://www.meti.go.jp/policy/economy/jinteki_shihon/index.html
[13] Financial Independence, Retire Early movementの略。経済的独立と早期退職を目指す一連のムーブメント。